私が子どもだった頃の話だ。小学校が終わると、ランドセルを玄関に放り投げ、靴もろくに脱がずにそのままUターンして、近所の公園に走って向かっていた。サッカーをやったり、ドッジボールをやったり、遊びの種類はその日の気分でころころ変わったが、共通していたのは、日が暮れて夕方のチャイムが鳴るまで、とにかく外で遊び続けていたことだ。
今、その光景をほとんど見かけない
自分の子どもたちも含めて、最近はこの光景をほとんど見かけない。放課後は学童に行くか、そのまま家に帰るか。近所の公園で、子どもたちだけで日が暮れるまで遊んでいる姿を見ることが、驚くほど減った気がする。
これが時代の変化なのか、共働き世帯が増えたからなのか、それとも地域の子ども同士のコミュニティ自体が成立しにくくなっているのか、正直なところ理由はよく分からない。共働き家庭が増えていることは間違いなく一因だとは思うが、それだけでは説明しきれない何かがある気もしている。
友達の家に平気で上がり込んでいた頃
自分が子どもの頃は、友達の家に平気で上がり込んでいた。約束もなしにインターホンを鳴らして、いるかどうかも分からないまま遊びに誘いに行く、というのが普通だった。今、自分の子どもたちがそういう付き合い方をしているかというと、そうではないと感じる。
いい言い方をすれば、今の子どもたちの人間関係はドライなのかもしれない。悪い言い方をするつもりはないが、少なくとも自分が育った環境とは、明らかに距離感が違う。
テレビの取り合いがなくなった代わりに
この変化には、デジタル環境も大きく影響しているのだろうと感じる。スマホやタブレット、スイッチをはじめとしたゲーム機、そのどれもがネット環境を通じて、一人でも、あるいは家にいながら誰かと繋がって遊べてしまう。
自分が子どもの頃は、テレビのチャンネルを兄弟で取り合う、というのがよくある光景だった。見たい番組が見られない苛立ちも、ごく普通にあった。今は一人一台タブレットがある時代なので、そういう苛立ち自体をあまり感じない環境で子どもたちは育っている。来週の放送が待ち遠しい、というあの感覚も、見たいものはいつでも見られる今の子どもたちには、そもそも存在しないのかもしれない。
何が正解かは、分からないままでいい
この変化が良いことなのか悪いことなのか、結論を出すつもりはない。防犯意識が高まったことも、遊び方の選択肢が増えたことも、時代として自然な流れなのだろうし、それ自体を否定する気は全くない。ただ、あの「日が暮れるまで公園にいた」感覚を知っている身としては、今の放課後の静かな公園を見るたびに、少しだけ寂しさのようなものを覚える。
自分の子どもに、同じ体験をさせてやれているかと聞かれると、正直自信がない。だからせめて、デジタルがあまり発達していない国や、もっとアナログな空気の残る国に、これからもどんどん連れ出していきたいと思っている。自分たちが恵まれた環境にいるのだということを、頭で理解するのではなく、肌で感じてもらえる機会を、できるだけたくさん作ってあげたい。
画面の中では絶対に手に入らないものがある。7歳が大蛇を首に巻いたのも、4歳が272段を登り切ったのも、外に連れ出したからだ。

