【ポンコツのたわごと #3】保安検査場、段取りの悪いおじさん問題

保安検査場、段取りの悪いおじさん問題 ポンコツのたわごと

保安検査場というのは、毎回同じ場所で同じ手順を踏む、いわば人生で一番「慣れ」が出やすい儀式の一つだと思っている。それなのに、あのトレーを目の前にした瞬間だけ、急に初心者に戻る人間が一定数いる。

トレーの前で、なぜか初めてやる人

両方のポケットに小銭やら鍵やらを詰め込んだまま突入し、トレーの前になって「あ、これも出さなきゃ」とばたばた取り出し始める。腕時計を外し忘れて引っかかり、ポケットからは何かよく分からない金属片が続々と出てくる。荷物はトレーの上にバラバラと雑に置かれ、後ろの列はじわじわ伸びていく。

正直に言って、その動きを見るたびに「絶対これが初めての飛行機じゃないよね」と思ってしまう。何度も同じ手順を踏んでいるはずなのに、なぜ毎回同じところで詰まるのか、こちらとしては純粋に理解ができない。段取りの悪さというのは、経験の量とはあまり関係がないところで発生するものなのかもしれない。人は何度失敗しても学習しない生き物だ、ということを、こんな場所で毎回証明されている気分になる。

私は、というと

こちとらもう完全にルーティン化していて、トレーに近づく前から準備は終わっている。腕時計を外し、携帯電話をトレーに置き、リュックも同じくトレーに預ける。パスポートは片手に持ったまま検査ゲートを通過する。通り抜けた先で、腕時計をつけ、携帯をポケットにしまえば、それでもう完了だ。無駄な動きは一切ない。

我ながら、この一連の流れだけは我が人生の中でも屈指の熟練度を誇っている気がする。他のことでこの手際の良さを発揮できていれば、もう少しまともな大人になれていたかもしれない。人生における才能の配分というのは、たぶん総量が決まっていて、私の場合はその大半を保安検査場に使い果たしてしまったのだろう。

段取りの良さは、人生の何を証明するのか

考えてみれば、保安検査場での手際は、その人の仕事の出来とも、人生の充実度とも、本来まったく関係ないはずだ。それなのに、後ろでもたついている人を見ると、こちらは無意識に何かしらの優越感じみたものを覚えてしまう。これはこれで、あまり褒められた性根ではない。世の中には他人の些細な失敗を見て自尊心を保っている人間が一定数いて、私もどうやらその一員らしい。金属探知機が人間の隠し持った金属を見抜く機械だとすれば、あの列は人間の隠し持った小さな悪意を見抜く装置でもあるのかもしれない。

とはいえ、あの詰まった列の空気感が、旅の始まりのちょっとしたスパイスになっているのも事実だ。イライラするというよりは、今日はどんな段取りの悪さを目撃できるだろうか、と半分楽しみにしている自分がいる。人の失敗を娯楽として消費している時点で、私もたいがい性格が悪い。それでも今日も、腕時計だけを外して、涼しい顔でゲートを通り抜けていく。

タイトルとURLをコピーしました