
香港・マカオ旅行の2日目は、12月25日。クリスマス当日である。
昨日は移動と合流でほぼ一日が終わってしまったが、今日からが本番だ。しかも、ただの一日ではない。クリスマスである。きらびやかな香港の夜、ヴィクトリアハーバーを彩るイルミネーション、そして——夜には、さぞ特別な食事が待っているに違いない。この時の私は、いや、我々一同は、まだそう信じて疑わなかった。
20数㎡に11人、持ち込み朝食の圧
朝、我々は一つの部屋に集まった。前夜遅くに到着した叔父夫妻の部屋である。
なぜ全員がこの部屋に集まったのか。答えはシンプルで、叔父夫妻が大量の食料を持参してきたからだ。昨日の空港での「四次元ポケット」は、まだ序章に過ぎなかったらしい。到着時のあの荷物の中には、翌朝の一族の朝食が丸ごと入っていたのである。
だが、ここで問題が一つ。部屋は20数㎡しかない。そこに、大人9人、子供2人、計11人が押し込まれるのだ。誰かがベッドに腰掛け、誰かが床に座り、誰かは立ったまま。持ち込まれた食料を囲んで、朝から親族の密度がすさまじいことになっていた。ホテルの一室が、完全に一族の食堂と化していた。
正直、狭い。狭いのだが、この光景を見て、悪くないな、とも思う。世界のあちこちに散らばっている親族が、香港のホテルの狭い一室に肩を寄せ合って、朝から誰かが持ってきたよくわからない食べ物を口に運んでいる。これはこれで、この旅でしか味わえない時間だった。
昨日買えなかったカードを、今日こそ12人分
朝食を終え、いよいよ街へ繰り出す。だがその前に、昨日の宿題を片付けねばならない。オクトパスカードである。
昨日、空港で「必ず買え」と自分で赤字警告したにもかかわらず、肝心のカードが空港で買えなかった、という間抜けな一幕があった。そのリベンジを、今日ここで果たす。モンコックの駅の窓口で、今度こそ12人分を購入するのだ。
だが、これがまた一筋縄ではいかない。オクトパスカードにはチャージが必要で、しかもシニア料金、大人料金、子供料金と、乗車ごとの運賃が人によって違う。「この人は何日分でどれくらい乗るから、これくらいチャージしておけば足りるだろう」と、一人ひとり計算しながらチャージし、12枚を配っていく。

昨日、バスチケットを11人分買って母に叱られた男である。今日は同じ轍を踏むまいと、一枚一枚、慎重に枚数を数えながらチャージした。今はまだ11人だが、今夜にはもう一人、最後のいとこが合流する。だから、買うのは12人分。今日はちゃんと、数を間違えなかった。
Avenue of Starsから、予定外のハーバークルーズへ
オクトパスカードを全員に配り終え、いよいよ電車に乗って尖沙咀(チムサーチョイ)方面へ向かう。目的地は、Avenue of Stars(スターズ・アベニュー)。香港映画界のスターたちの名を刻んだ、ヴィクトリアハーバー沿いの遊歩道である。
海沿いを歩けば、対岸には香港島の高層ビル群がずらりと並ぶ。昨日、モンコックの街並みを見て「香港って思ったより綺麗じゃないね」と言っていた初香港組も、この景色にはさすがに納得の様子だった。そう、これが、みんながイメージしていた香港である。
そして、ここで予定外の展開が起きる。
Avenue of Starsから、この後の目的地であるショッピングモールへ向かう道すがら、一人の客引きに声をかけられた。ヴィクトリアハーバーを巡るクルーズ船の勧誘である。予定にはなかった。だが、「まあまあ、どうですか」と押しの強い客引きに、我々の足は自然と止まってしまった。
そして、ここで一族が誇る最強の交渉人が動く。叔母である。
中国語で繰り広げられる値切り交渉。最初に提示された額がいくらだったか、私はその場に居合わせていないので正確には知らない。だが、叔母は交渉の末、相場の半値以下まで叩き落とした。恐るべき交渉力である。結果、11人でHK$450という条件を引き出してみせた。一人あたり、およそ40香港ドル。日本円にして800円弱で、ヴィクトリアハーバーを巡るクルーズに乗れることになったのだ。予定外だったが、これは乗るしかない。
クルーズは30〜40分ほど。所要時間としては短めだが、これが思いのほか刺激的だった。昼間だというのに波が高く、船は結構な勢いで揺れる。立っていられないほどの揺れに、大人たちはたじろぎながらも、子供たちはむしろ大喜びで船内を騒いでいた。軽食と、ついでにビールまで振る舞われ、揺れる船の上でヴィクトリアハーバーの景色を楽しむ。予定になかったからこそ、記憶に残る時間になった。

ハーバーシティで、2日連続の「綺麗だけど普通」な小籠包
クルーズを終えて向かったのは、香港最大級のショッピングモール「ハーバーシティ(Harbour City)」。その入り口付近には、ちょうどこの時期、アナと雪の女王をテーマにした大きなモニュメントが展示されていた。子供たちも大喜びで、記念に写真を撮る、絶好のフォトスポットだった。
そして昼食は、このハーバーシティの中にある「翡翠拉麵小籠包(Crystal Jade)」へ。個室のあるちゃんとしたレストランで、名物はやはり小籠包である。
……そう、小籠包だ。昨日のParadise Dynastyに続き、2日連続の小籠包である。
運ばれてきた小籠包は、確かに見た目が美しい。丁寧に作られているのもわかる。だが、正直に言おう。美味しいか、と問われれば、「うーん」なのだ。昨日と同じ感想を、今日もまた抱くことになった。見た目は文句なし。味は、悪くはない。ただ、東京で食べる鼎泰豊(ディンタイフォン)の方が、正直、美味しい。
香港=美食の街、というイメージを胸に来た我が家だったが、小籠包に関して言えば、我が家の中で香港神話が静かに崩れ始めていた。もっとも、これはあくまで小籠包の話。この後、香港には香港の本当に美味い食べ物があると気づくのだが、それはまた別の話である。
さて、クリスマスの夜がやってくる
昼食を終え、午後はモンコック方面へと戻り、思い思いに過ごした。買い物をしたり、街をぶらついたり。大所帯の旅は、こういう「なんでもない時間」も意外と貴重だったりする。
そして、いよいよ日が傾いてきた。
改めて言おう。今日は、クリスマスである。
香港のクリスマス。想像してみてほしい。ヴィクトリアハーバーの対岸に輝く高層ビル群、色とりどりのイルミネーション、世界有数の夜景を誇るこの街の、一年で最も華やかな夜。しかも我々は、世界中から集まった総勢12人(今夜、最後の一人も合流する)の親族一同である。
こんな特別な夜だ。夕食は、さぞかし豪華なものになるに違いない。
香港の夜景を望む、洒落たレストラン。あるいは、飲茶の名店で円卓を囲む一族。はたまた、クリスマスディナーのコースに舌鼓を打つ12人。どんな贅沢な晩餐が、我々を待っているのだろうか。
——そう、この時の私は、まだ本気でそう思っていたのだ。

だが、スーツケースの足が取れていた
豪華な晩餐への期待に胸を膨らませる我々だったが、その前に、片付けねばならない現実的な問題が一つあった。
スーツケースである。
話は前日にさかのぼる。香港空港に到着し、荷物を受け取ろうとターンテーブルの前で待っていた時のことだ。我が家のスーツケース2個のうち1個が、明らかに異様な状態で流れてきた。4つあるはずのキャスター(足)のうち、1つが根元からポッキリと取れていたのである。
タイヤだけ取れたのではない、スーツケースの角の部分までもろとも取れていたのである。
これでは、スーツケースとして機能しない。キャスターの取れたスーツケースなど、ただの重たい箱だ。しかも、この後の旅程では香港からマカオへフェリーで移動する。壊れたスーツケースを引きずって移動するわけにはいかない。マカオへ発つ前に、代わりのスーツケースを調達する必要があった。
(なお、このスーツケース破損については、後日きちんとANAが補償してくれた。さすがである。)
そんなわけで、クリスマスの夜、私は豪華なディナーに向かう代わりに、下のいとこを一人連れて、スーツケースを買いに行くことになったのだった。
クリスマスの夜に行う、女人街の値切り交渉
向かった先は、女人街。昨日ちらっと覗いた時に、スーツケースを売る店がいくつもあったのを覚えていた。
ここでも、香港名物の値切り交渉である。ただ、これは声を大にして言いたいのだが、香港の値切りは、正直あまり手応えがない。東南アジアの国々で味わえる、あの丁々発止の、粘れば粘るほど値段が下がっていく交渉の醍醐味は、香港にはあまりない。それでも一応、英語で粘るだけ粘って、いくらか値引きさせて、スーツケースを2個購入した。叔父一家の分と、我が家の分である。
そして、ここで思わぬオマケがついた。リュックほどの大きさの、小さな紫色のスーツケースである。キャスターも4つついた、ちゃんとしたミニスーツケースなのだが、いかんせん小さい。値切りの不完全燃焼をここで発散する。これを見た下の娘が、大喜び。彼女の宝物が一つ増えた瞬間だった。(ちなみにこの紫のスーツケース、可愛いのだが小さすぎて、旅行では完全に荷物になる。今のところ、我が家で出番を待ち続けている。)

さて。スーツケースも無事に手に入れた。あとは、待ちに待った夕食である。
香港のクリスマス。世界有数の夜景。総勢一族の集い。豪華な晩餐。
——結論から言おう。我々のクリスマスディナーは、KFCだ。

正確に言えば、こうだ。昼食が遅かったこともあり、夕食は「あちこちで軽く買って、ホテルで食べようか」という流れになっていた。ところが、いざ買って部屋に集まってみると、どう考えても量が足りない。大人9人に子供2人、育ち盛りも食べ盛りもいる大所帯である。そこで、「クリスマスといえば、やっぱりケンタッキーだよね」という、実に日本人らしい発想が飛び出し、私はチキンを買い出しに走ることになったのだった。
香港のホテルの一室。親族一同がぎゅうぎゅうに集まり、床やベッドに散らばって、クリスマスの夜にKFCのチキンを頬張る。イルミネーションも、夜景も、洒落たレストランも、そこにはない。あるのは、油の匂いと、みんなの笑い声だけだ。
だが、不思議なもので。
あれだけ「豪華な晩餐」を期待していたはずなのに、振り返ってみると、この雑然としたケンタッキーの夜こそが、この旅で最も記憶に残る夜の一つになっている。世界中から集まった家族が、香港の狭いホテルの部屋で、フライドチキン片手に笑い合う。これ以上のクリスマスが、果たしてあっただろうか。
我が家の、いや、我々一族の香港のクリスマスは、値切り交渉とケンタッキーで幕を閉じた。悪くない。むしろ、最高だった。

