
我が家の家族旅行は、いつも家族4人と、多くても妻の親族を加えたところまでで完結してきた。だが、この12月末は少し勝手が違う。両親、そしてごく近い親族が世界のあちこちから香港へ集まる、総勢12人という大所帯の旅である。海外に住む親族もいて、それぞれ違う空港からのフライトで、同じ日の香港で顔を合わせることになった。
発端は、去年の夏の何気ない一言
そもそも、この旅が動き出したのは、去年の夏だった。海外に住む親族の家を訪ねた際、雑談の中で「香港の話」がふと出た。誰かが行った、誰かが行きたかった、というレベルのなんてことのない話題だったはずが、私が「じゃ、みんなで行こうよ」と口を滑らせたところから、話が思わぬ勢いで転がっていった。
きっかけはそれだけだ。だが、この旅にはもう一つ、外せない意味合いがあった。父の退職である。長く働いてきた父にとって、節目のタイミング。それを祝う意味も込めて、この12人集結の旅は成立した。私の口が滑った一言が、結果的に父の退職祝いという形に着地した、と言えるかもしれない。
半年をかけて、日程を調整した。海外に住む家族のフライト、両親のフライト、我々家族のフライト。それぞれ違う出発地から、同じ日の香港で合流するという計画である。計画魔を自称している私にとっても、これだけの世帯とスケジュールを調整するのはなかなかの手間だった。だが、その手間の先にあるものを思えば、悪くない仕事だった。
24時間前、プレミアムエコノミー奪取作戦
計画魔を自認している以上、フライトの取り方にも一手間かけている。今回、我が家4人分の航空券は普通にANAで購入した。ただ、購入した時点でこの旅は終わっていない。まだ、やることがある。
ANAには、出発の24時間前になった瞬間に、プレミアムエコノミーの空席が解放されるタイミングがある。
厳密な仕様の話は割愛するが、要はオンラインチェックインが可能になる瞬間、それまで保留されていたアップグレード枠がふっと開くのだ。ここを狙って、事前予約時のエコノミー座席をプレミアムエコノミーに差し替えるのが、私の毎回の儀式である。
5分前からアプリを開いてスタンバイし、時計を睨む。24時間前ちょうど、リロード。空いていれば、迷わずタップ。座席が確保される。
そして今回、この儀式は劇的な成果を叩き出した。家族4人全員分のプレミアムエコノミー席が、綺麗に取れたのである。有料航空券のまま、追加料金なしのアップグレード。妻の反応は、当日空港でアプリを見た瞬間だった。「え、これ、普通に予約したやつだよね?」。子供たちはさすがに事情を分かっていないので、ただ「大きい画面!」「席が広い!」とはしゃいでいた。

そしてこのアップグレード、身長187センチの巨体を持て余しがちな私にとっては、単なる贅沢以上の意味があった。前の座席との間隔に余裕があり、リクライニングも遠慮なく倒せる。後ろに気を遣う必要もない。1カ月のソウル旅行のジンエアーで、膝が前の座席の背もたれと格闘していた記憶が、まるで別世界の出来事のようだった。同じ「飛行機の座席」という括りの中に、これほどの差があるとは。
朝5時出発、羽田で親族と直前合流
12月24日、クリスマスイブの朝5時。まだ真っ暗な中、我が家4人は車で羽田に向かって家を出発した。途中のコンビニで、いつも通りコーヒーとおにぎりを調達する。この時間の家族旅行は、我が家では毎度お馴染みの光景で、子供たちも眠い目をこすりながらも、旅の始まりのそわそわを隠せない様子だった。
我が家は、飛行機の出発時刻の2〜3時間前を目安に空港に到着することを毎回の基本にしている。というのも、我が家から羽田空港までは、道路が空いていれば片道1時間ほど。逆に言えば、渋滞などのリスクを一切考えないわけにはいかず、余裕を見込むと必然的にこの早起きになる。
車を停めたのは、羽田第2ターミナル近くの駐車場。羽田発の便に乗るのは、それなりに久々の感覚である。
出国審査、保安検査ともに滞りなく通過し、次に向かったのはプライオリティパスで使えるラウンジだった。搭乗までの時間はまだたっぷりある。無料枠で入れる下の娘だけを連れて、短時間だけ立ち寄ることにした。娘は何かちょっとしたお菓子とジュースをぱぱっと口に入れて、ものの数分で退散した記憶がある。
そして、この日は搭乗前にもう一つ、大事な予定があった。海外に住む親族一家との合流である。彼らも同じ便に乗ることは事前に知っていたので、特に「何時に、どこで」といった細かい約束はしていなかった。だが、免税店エリアで、搭乗開始のギリギリのタイミングで、無事に顔を合わせることができた。挨拶を交わす時間もそこそこに、ぞろぞろと搭乗ゲートへ向かう。旅の第一の合流、完了である。

香港着、赤字で警告したはずのカードが売っていない
香港着、12時55分。
ここから先の動きは、事前に旅のしおり(というほど大袈裟なものではないが、私が作った家族向けの共有資料)にまとめてあった。**赤字で強調していたのは、「オクトパスカードは必ず空港で購入すること」**という一項である。
香港では、地下鉄も市内バスも、この非接触型ICカード「オクトパスカード」があれば大抵の移動をタッチひとつで済ませられる。空港からモンコックのホテルへ向かうバスに乗るためにも、カードは必須。私は資料に赤字で明記し、家族全員に念を押し、まずはATMで現金を下ろしてから、いざオクトパスカードの購入窓口へ向かった。
が、売っていない。
一体どういうことだと窓口を見回し、案内板を確認し、係員に尋ねる。要するに、以前は空港内で普通に販売されていたはずのオクトパスカードが、なぜかこの時は空港では扱っていないという返答だった。赤字で警告した張本人が、警告した通りの場所で、警告したモノを買えない。この事態を、なんと呼べばよいのだろうか。
自分で作った資料に、自分で足元をすくわれた瞬間だった。
とりあえずカードは諦め、市内へ向かうバス(A21)のチケットを窓口で人数分買うことにした。これがまた、混乱の始まりだったのだが、その話は次の見出しに譲る。

空港カフェで、四次元ポケットから食べ物の山
バスチケットの購入に取り掛かる前に、もう一つの合流があった。両親の到着である。両親も別便で香港に向かっていて、我々より少し遅れて到着する予定だった。両親から「着いたよ」と電話が入り、「今、この辺のコーヒーショップにいる」と居場所を伝えて、空港内で合流する。
そして、事件はここで起きた。
両親、そして羽田から我々と一緒に来た叔父家族。60代から70代の親族一同がテーブルにつくやいなや、なぜかそれぞれのリュックから、次から次へと食べ物が出てきたのである。バナナ。お菓子。何かの包み。また何かの包み。空港のコーヒーショップのテーブルが、みるみるうちに食料の山と化した。
「これも食え」 「あれも食え」
まさに、四次元ポケットである。ドラえもんですらここまで手当たり次第には出さないのではないか、というレベルで、リュックの底から食べ物が湧き出してくる。しかも、これはついさっき国際線に乗って入国してきたばかりの人たちのリュックである。よくこの量、入国審査を通ってきたな、というのが正直な感想だった。
私は自分でコーヒー一杯を注文したことを、やや後悔した。目の前は、私のコーヒーが完全に脇役になる、食べ物の山だったのだ。

ちなみに、この時ちょうど香港空港はクリスマス一色に染まっていた。館内には音楽が流れ、生演奏や楽器演奏、大きなクリスマスツリーの飾り付け。旅のスタートとしてはこの上ないシチュエーションで、この空港カフェのシーンだけを切り取れば、なかなか絵になる光景だったはずである。ただし、テーブルの上を食べ物が埋め尽くしていなければ、の話だが。
パニックの果てに、なぜか11人分のバスチケット
空港カフェでの一幕を経て、いよいよ市内へ向かうバスチケットの購入である。
オクトパスカードが手に入らなかった以上、A21バス(空港からモンコック方面へ向かう路線)のチケットは、窓口で人数分を個別に買うしかない。ここで問題なのは、一人あたりの料金がHK$33、しかも子供料金と大人料金が別という点だった。
そして、この時点で合流できていた家族は9人だった。我が家4人、叔父家族3人、そして両親2人。残りの3人、つまり叔父夫妻2人と、いとこ1人は、まだ別の便で移動中で、香港には着いていなかった。
計算式としては、シンプルなはずだった。9人分。子供料金と大人料金を分けて計算するだけ。だが、この時の私は、完全にパニクっていた。
オクトパスカードが買えなかったショック、四次元ポケットから湧き出した食料の余韻、そして12人という総人数の頭からの離れなさ。冷静なら数秒で終わる計算が、なぜかこの時に限って頭の中でぐるぐると空回りしていた。
窓口を離れ、手元のチケットを数えて、私は自分の目を疑った。11枚あった。
なぜ、11人分だったのか。9人分でも12人分でもなく、11人分。この半端な数字がどこから来たのか、正直に言えば、いまだに自分でも覚えていない。HK$33 × 2枚、およそ1,300円の、なんの意味もない損失である。

このハプニング、当然ながら静かに終わるわけがなかった。
家族全員でバス乗り場に向かう道すがら、母から**「なんでちゃんと計算しないの」**という、頭ごなしのお小言が炸裂した。旅の初手から、40歳の息子が母に叱られている光景である。周りの家族は、みんな笑って眺めていた。なんとも情けなく、なんとも家族らしい、旅の幕開けだった。
モンコックの夕食、綺麗だが記憶には残らない
A21バスに揺られること、およそ1時間。降車駅は「信和中心(サンワセンター)」。ここで降りて、少しだけ道を間違えつつも、大きなトラブルなくホテルに到着した。
宿泊先は、Hilton Garden Inn HK Mongkok。今夜からの2泊、5部屋を家族ごとに予約している。この5部屋という数字にも既に大所帯の匂いが漂っているが、チェックインは意外にもスムーズに進み、それぞれの部屋に落ち着くことができた。
ちなみに、このホテルは私にとっては初訪問ではない。実はこの1ヶ月前、11月の韓国旅行のちょうど1週間前、私は仕事の出張で香港に来ていた。その時にこのホテルの下見を済ませていたのだ。12人の家族旅行、失敗するわけにはいかない。計画魔の面目躍如、というやつである。
外に出るとまず感じたのは、街の第一印象の落差だった。子供たちも、他の初香港組も、揃って口を揃えたのが「香港って、思ってたより綺麗じゃないんだね」「中国の方がずっと綺麗じゃない?」というリアルな感想である。テレビや写真で見る香港のイメージ、ネオン輝く夜景、洗練された高層ビル群。あの絵は嘘ではないのだが、生活感のあるモンコックの街並みは、それとはずいぶん違う顔をしている。旅の第一印象というのは、こういうものだ。

夕食は、少し歩いたところにある「Paradise Dynasty(楽天皇朝)」で。小籠包の名店として知られる店で、8色の色鮮やかな小籠包が売りだ。運ばれてきた蒸籠を開けると、ピンクやイエロー、グリーンといった小籠包が並ぶ光景は、確かに一枚の絵として見応えがある。
味は、悪くない。ただ、正直に告白すると、目を見張るほどか、と言われれば、そこまでではなかった、というのが本音だ。「綺麗だね」と言いながら食べていた、というのが、この夕食を最も正直に表す一文かもしれない。ちなみに家族4人での夕食は、およそHK$700(約13,000〜14,000円)前後。想像より高くも安くもない、香港の中心部の食事相場である。
食後、近くの女人街(Ladies’ Market)を軽く散策した。ただ、この時点でみんな相当に疲れが溜まっていて、店を一つ二つ覗いた程度でぱぱっと切り上げてホテルへ戻る流れになった。ホテル近くの小さなフルーツ屋台に立ち寄ったのだが、ここでもまた、両親と叔母たちが「明日の朝食用に」と食料を買い込んでいた。四次元ポケットは、まだまだ底をつかないらしい。
ホテルに戻った頃には、この日最後の出来事が控えていた。もう一組の叔父夫妻の、ホテル到着である。彼らは別便で、我々よりずっと遅い時間に香港に着いていた。ホテルのロビーに着いたと連絡が入り、私だけ下に降りて、簡単な挨拶を交わす。「また明日の朝ね」と言い合って、その日は解散。
長い1日だった。朝5時に家を出て、羽田で親族と合流し、香港に着き、オクトパスカードで焦り、四次元ポケットに圧倒され、バスチケットを買い間違え、母に叱られ、街の第一印象に落差を感じ、綺麗だけど印象の薄い小籠包を食べ、女人街をチラ見して、また食料を買い込む親世代を見守った。12人の集結、そのうち11人が香港の同じ夜を迎えたことになる。残る一人、いとこの一人は、翌日の夜に合流する予定だ。
明日は、飲茶から始まる本格的な香港の1日が待っている。旅は、ようやく助走を終えたところだった。

